Air diary 76『時の封に向けて 2011.年末. 備忘録 』

2011/12/29

 

震災があり、様々な事が、もう一度考え直さなければいけないという状況に追い込まれたこの一年。

自然は時に暴力的であり、人知を越えた存在があることを再認識。

アート、芸術といった内面性から掘り起こされるそれとは違い、圧倒的な現実に対しての改変力を持ち、

人の営む「時」さえ飲み込んでしまう。

ゼロからのスタートを余儀なくされ、科学が引き起こしたマイナスからの脱却を如何にはかりうるのか。

「時の封 2011.春」の展示に向けて、ワークショップに向けて、震災後の花鳥風月の在り方や捉え方を否応も無く省みないといけない。

いつまでも続くとどこかで思っていた、現在という「時」。

ただあるということが、圧倒的な美を生むことを、安易に受け継いでいたのではないか。

逆に科学の力で時(営み)が時間を越えてしまった時、全てのコトが無になる可能性を「時」の中で解決出来るのか?

うねっている。自然と人の関わりがうねり始めた2011年。もしくはそれに気づかされた2011。

何かを取り戻さないと行けないんだろうけれど、それが分からない。

震災以降の花鳥風月はまだまだ日が浅く、今後が長い。

 
 
 

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