Air diary 66『R+気流部 』PART 2
2011/09/05
日本列島に大きな被害をもたらした台風12号がやっと去りました。でも台風一過と呼ばれる晴天にはならず、雨が降り続きましたが、やっと小雨に。
アートが公共空間に出て行くと、様々な問題に当たる。制度化された社会の中で、アートという制度はナンセンスでもあり、全てのコトが説明されていなければならない行政域では、個の考えや内面が現された作品は保護されるか排除されるかしかないのかも知れない。
都市公園においても、その役割や場が創出するビジョンが大きな言葉(社会にとって響きある言葉)で打ち出されている。予算確保のため、指定管理受諾のため、 まずはビジョンを描き、言葉でもって表現されている印象も受ける。そしてその為の枠組みを捻りだし、タッグを組み、運営を実施する。
そこで予算が付かなければ無意味な事になるので、余計に理念が先を走る事もあり、
「今の制度には問題がある。予算縮減では何も出来ない。」といった制度論を掲げ、外省する。
アートがアーティストがその辺りと根本的に異なるスタンスを持つのは、まずは実行、実践という初歩。理念やビジョンに社会性を持たせることよりも、自分にとって「面白いコト」が何よりも優先される心の持ち主である。
そこでよく誤解が生じるのは、「社会性を無視して迄」という立場で、他者との共有を度外視までする事は無い。
ただ、ビジョンはあっても言葉を持ち合わせてなかったりする事が多く、
「社会に受け入れられる事が目的でやっているのではない。」という理念のような言葉を抱えながら、内省する。
一昔前では余り関わらない、交わらない二極的な両者が一つになるとどうなるか?出会えば何が生まれるのか?
都市公園ではその両者が出会える二極の隙間が他の公共空間の中よりも存在する。その隙間に何か新たな卵を生み落とせるのかが「R+気流部」の可能性なのかと考えています。
新たな制度を作るのではなく、二極の隙間=R+気流部として誰もが都市公園に面白みを見出せるきっかけ作りになることを目指しています。
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R+気流部とは? R指定=緑地限定気流部名称。
場から立ち上がる制度に対して俯瞰する視点を持ち、人、都市、自然、アートの新たな関係性の再構築を目指す活動と、その展開の場である[都市公園]の可能性を参加型アートイベントやワークショップにより探る活動名称。
又、映像作品などの「R指定」を引用し、個の表現の公共性の中での制約や制限といった「個と制度」をテーマに、相反しない「個と集合体」としてのアートプロジェクトを目論む。