Air diary 78『 いちねん、いろんなコト』
2012/03/12
ちょうど一年前に気流部代表としてメッセージを発した。「20110312」。
ちょうど前回のおおさかカンヴァスでの「AIR JACK」プロジェクトをスタートさせた直後、又大阪府によるセレモニーが行われる予定だった日に。
あの日の事は今でもよく覚えている。事業は中止だよ、という思いと裏腹に事務局からセレモニーがあると伝えられたのだけれど、大阪迄の電車に乗っている途中で、カンヴァス相談役のヤノベさんが中止を進言し、了承されたと連絡を受けた。前日に震災があり、報道からもただ事ではない被害の実態が情報として常に更新され、増大して行く最中での事。後に原発関連の被害も深刻さを増していった。
セレモニーは中止、事業自体は開始されているので、継続。
準備を進めてきた中で、プロジェクトを進行したいという気持ちと、今、アートプロジェクトをやっていて良いの?という思いがあった。もちろん税金が投入されている事業なので、府民の様々な進言もプロジェクト展開中に受ける事になった。(おおさかカンヴァスが府の直轄事業ではなく、実行委員会形式のディレクターを冠するアートイヴェントなら、中止、延期になっていたかも知れない。)
でも、実はここがカンヴァス事業の特徴と主旨を、芸術祭やイヴェントと鮮明に分けた1つの時点だったのではないか?と考えたりもする。(ただこの事業については、論評も乏しく、語られるべき機会も少ない。)
地域とアートが結びつき、何かを産む。この金のアート卵?のストーリは一般化しているけれど、何も産まない可能性のアートを温めると、何か以上のコトが繋がって行くかもしれない。そんな密やかで、地下水脈のようなアートが都市の中では相応しいのかもしれない。そしてある一定以上の穴の深さを掘ると、沸き上がってくる。そんなアートの社会基盤整備。
この春に展開する、草月会、髙島屋とのプロジェクトもこの一年で流れが生まれ、カタチになった。
いけばなというアートが独自の世界を築いている日本の社会で、個のアーティストが関わる領域は限られている、又は別世界だと認識されているようだけれど、その隔たりを乗り越えて行く力をも逆に見せつけてくれたのが、草月だった。
なんとなく、振り返りながらも、時は前に続いている。
思った事がそのままうまくは行かず、けれど新たな方向性や可能性が示唆される。
とりあえずは色んな時間、場所で進んでみる必要がありそうだ。